あきらめないでいてみる
私は何かとあきらめがちなところがある。
あきらめるというのはどういうことか。
今世では、自分の能力では成し遂げられない、と結論付けることだ。
しかし、来世になったら今世の記憶はないだろうから、今世でやってみないと勿体ない気もする。
自分の能力とは何だろうか。
人の能力も、コミュ力とか、文章作成力とか、問題解決力とか、RPGの戦士達の戦闘力とか防御力とか魔力とかと同じように、今持てる力のことだ。
値に表現するのは一般人には出来ないけれでも。
それらの力は、人によって伸びやすい力と伸びにくい力があるけれども、伸ばすことは出来る。
伸ばすことは面倒だし別に伸ばさなくてもいいのだけど、自分がRPGの主人公のごとく伸ばしていく楽しさを感じることもできると思う。
第一、人生においてすることなんてそんなに無いような気がしている。
することはそんなにないし、時間はあっという間に過ぎる。
そしたらスマホゲームに熱中するより、自分のレベル上げに励む方が面白いんじゃないかと思う。
レベル上げもしつつ沢山遊べたら最高だ。
なるべくあきらめないで自分のRPGを楽しんでいきたい。
完璧な幸せなんてない
何が幸せか?
それを考えはしますが、わかっていません。
極端な言い方をすると、
完璧な幸せを達成したい!
とそう思ってしまうこともありますが、
完璧な幸せなんてきっとないでしょう。
どこまでいっても人の欲望は、もっともっとと求めるだろうから。
であれば、完璧な幸せなんて求めない方がいいということになります。
完璧ではないけれども、なかなか幸せだな、とそう思える状態がいいのかなと思います。
完璧な幸せって、それ以上何も望むものがない状態だから、何もする気が起きなくなるはずですね。。それはそれで恐ろしいです。
やはり、今自分が置かれている状況での幸せを見出して、さらに努力をしていくことでワクワクを感じながら生きていく、そんなスタンスがいいのかな。。
計画なしではほぼ何も出来ない
もう今年も半分以上過ぎました。
自分の成長のしてなさに愕然とします。
これは全て自分が計画を立てて実行をする、ということをしていなかったからです。
計画を立てなければ、ほぼ何も出来ずに毎日が過ぎていきます。
このままではいけない。
気楽に生きる、それもとてもいい生き方です。
でも、まだまだ自分は余裕が残っている。
このままではオヤジになった時に絶対に後悔する。
そうならないため、この人生で自分が成し遂げたいこと、大切にしたいことをしっかり見つめ、それに基づいた計画を立てて、毎日毎日を積み重ねて、噛みしめていきたい。
今やる必要があること、今しか出来ないこと、今やらないと後悔すること。
それを今やろう。
夢を持って生きたい
夢を持って生きたい。
今、私は不完全燃焼だ。
そんな私が燃えるためには、自分が決めた夢を持つ必要があると思う。
何だか毎日不完全燃焼の燃えカスが身体の中に溜まっていくような感覚を持っている。
もっと全力で生きて、夜はバタンキューと倒れこむくらいがいい。
もっと、もっと、と自分の感覚が求めている。
いつ自分が死ぬかは分からない。
明日にも明後日にも死ぬ可能性はある。
もしそうしたら。。
今のままでは後悔しか残らない。
大切にするべき人がいる。
大切にするべき自分がいる。
燃えカスが残らないように燃やし尽くそう。
全ての悩みは妄想だ
全ての悩みは妄想だ。
なぜなら、悩みは自分が作ったものだからだ。
悩みの直接的な原因と感じられるものとしては、自分にとって不快な状況、というものがある。
しかし、これも同じ状況だろうが、人によっては悩みとならない。
よって、悩みを作り出しているのは、自分自身ということになる。
だからといって、その状況が自分にとって不快な状況になる、ということはなかなか変えられないものだ。
それを不快と感じるのがその人の個性に基づくものだからだ。
であれば、取れる手段としては、その状況の解釈を変えるか、その状況から逃げるか、の二択だ。
解釈を変える、というのは自分の今持っている知識では難しいだろう。
何か新しい知識を得ないと、その解釈を変えることは難しいだろう。
解釈を変えたいならば、今自分が持っていない知識を吸収する必要がある。
逃げる方が簡単だ。
しかし、社会的には逃げると復帰が難しい状況が待ち受けている可能性がある。
今までの自分を捨てるか、社会を捨てるか、どちらでも良いけれども、今までの自分を捨てる方が実は楽かもしれない。
今までの自分を捨てて、自分の感情を大事にして、もっと大胆に生きることは、誰にでも出来ることではないだろうか?
大胆に出来ない理由があるか?
社会を捨てるくらいなら、そっちのほうが数倍簡単じゃないだろうか。
もっと大胆に生きて、悩みなど吹き飛ばしてしまいたい。
悩みのほとんどは人間関係だという。
ということは、悩みのほとんどはくだらない人間によるものだということだろう。
ということは、悩んでいる人はそのくだらない人間のせいで苦しんでいるということだ。
そんな人間のために自分を犠牲にしてはいけない。
そんな人間と関わる必要などない。
もっと素晴らしい人たちが他の場所であれば、実は沢山いる。
仕事ができない人をできる人にしたい
仕事ができない人をできる人にしたい
それができたら面白いし、社会貢献になるかなと思っている。
しかし、肝心の自分がまだ仕事ができる人間ではない。
なので、まず自分が仕事ができる人間になって、
そのノウハウをだれでも使えるツールに落とし込めたらいいなと思う。
同じ成果を短時間で成し遂げ、プライベートの時間を確保する。
ここでいう仕事はクリエイティブではない、事務仕事をいう。
仕事ができるようになるためには、仕事術とメンタルとコミュニケーションの
3つが必要かと思う。
これを漢字にすると「心技体」だ。
それらについて仕事ができる人のやり方・考え方をトレースできれば、仕事ができないということも減るんじゃないのか。
それが実現したら日本全体としても、大きな効果を生むんじゃないか。
もちろん、今でもそのようなことは行われている。
それらで成果を発揮するには、なによりもまず本人の自主性が必要となるし、
自主性のない人は何もしようとしないだろう。
自己責任、といえばそれまでだけど、それでいいのだろうか?
自主性のない人は目覚めていないだけで、本当はもっと人生を楽しめるんじゃないだろうか?
せめて、もっと人生を楽しむ選択肢があるということを知る機会があってもいいと思う。
まずは自分から。。
人生は死ぬまで暇つぶし
人生は死ぬまで暇つぶし
なんてことを1度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
暇じゃねえよ、毎日毎日苦しいよ。
そういった気持ちの人もいるでしょう。
当然ある程度生活に余裕がなければそういった暇、だなんて言えないと思います。
しかし、住む場所を選ばなければ東京の半分の家賃で1人暮らしをすることも
出来るので、その場合、アルバイトでも生活出来てしまうのではないでしょうか。
どうせ暇つぶしならば、
あの腹が立つ上司も、
いけすかない同期も、
つまらない仕事も、
どうでもよくなるんじゃないでしょうか?
でも、どうせ暇つぶしなら、どうせならもっと楽しみたい。
選択肢はひとつではないはずです。
普段はとても忙しくて見えないかもしれないですが、
色々な生き方があると思います。
僕ももう少し人生を楽しまなければもったいなと思っている所です。
もっと人生を味わい尽くしたい。
それにはどうしたらいいだろうか?
毎日を本気で生きる必要があると思います。
もちろん身体と心を壊さない程度にですが。
毎日をもっと本気で生きて、違う景色を見てみたいです。
もう今年も半分以上過ぎてしまっています。
人生は儚いから、もう少し自分の心に正直にならなくては。